2024年12月21日
病院物語
昨年ぐらいから、右の首筋から右肩にかけて痺れがあり、
そのうち首が右側に回らなくなってきた。
は??・・・
それは借金のせいだろう
確かにそれもある
車を運転していても、右側の安全確認ができなくなってきていて、
そのうち三線の演奏にも支障をきたしそうな感じになってきたので、
今年に入って病院で検査を受けた。
結果は予想通り。
加齢により頸椎が狭くなり、神経を圧迫していたための痺れだった。
医師からリハビリ治療を言い渡され、
3月から週2・3回の通院リハビリを続けている。
さらに9月からは週1回の針治療も開始し、
お陰で痺れはほぼなくなり、3月より借金は増えたけど、
首はスムーズに回るようになっている。
これだけ頻繁に病院通いをすると、
日頃、滅多に会うことのない人に会ったりする。
その病院は患者をフルネームで呼びだすため、
待合ロビーに名前が響き渡るとすぐに身元が分かる。
昨日である。
治療を終え会計を済ませ帰ろうとしたとき、背後から「横目さん」との声。
振り返ると見知らぬ人が「浜崎です」と・・・
一瞬の間・・・
走馬灯のように記憶が頭の中を駆け巡るもキョトンとしている私に、
再び「浜崎です」、、、その瞬間
「秋男か・・・」
「はい・・・」
30代の若かりし頃、仕事・プライベートで散々付き合った奴だ。
その後、40代で私はとらばーゆ
ほとんど接点がなくなり昨日である。
見ると、座っている傍らにグーサンが置いてある。
すっかり細身になり、あの頃の面影はない。
記憶を呼び覚まし、名前を言い当てた自分を誉めたいぐらいの変わりようだ。
人目もはばからず、しばし二人の話がはずむ。
約30年分の話である。
私は私で病院通いしている理由を・・・
彼は彼で・・・
脳梗塞で身体の右側に麻痺があるらしい。
約10分で30年分の時間を取り戻し、
お互いにリハビリ頑張ろうと言って別れてきた。
リハビリを頑張るということは、また彼に会えるということだ。
病院物語
もっと面白いこともあるはず
元気で病院通いがんばろう
そのうち首が右側に回らなくなってきた。
は??・・・
それは借金のせいだろう
確かにそれもある
車を運転していても、右側の安全確認ができなくなってきていて、
そのうち三線の演奏にも支障をきたしそうな感じになってきたので、
今年に入って病院で検査を受けた。
結果は予想通り。
加齢により頸椎が狭くなり、神経を圧迫していたための痺れだった。
医師からリハビリ治療を言い渡され、
3月から週2・3回の通院リハビリを続けている。
さらに9月からは週1回の針治療も開始し、
お陰で痺れはほぼなくなり、3月より借金は増えたけど、
首はスムーズに回るようになっている。
これだけ頻繁に病院通いをすると、
日頃、滅多に会うことのない人に会ったりする。
その病院は患者をフルネームで呼びだすため、
待合ロビーに名前が響き渡るとすぐに身元が分かる。
昨日である。
治療を終え会計を済ませ帰ろうとしたとき、背後から「横目さん」との声。
振り返ると見知らぬ人が「浜崎です」と・・・
一瞬の間・・・
走馬灯のように記憶が頭の中を駆け巡るもキョトンとしている私に、
再び「浜崎です」、、、その瞬間
「秋男か・・・」
「はい・・・」
30代の若かりし頃、仕事・プライベートで散々付き合った奴だ。
その後、40代で私はとらばーゆ
ほとんど接点がなくなり昨日である。
見ると、座っている傍らにグーサンが置いてある。
すっかり細身になり、あの頃の面影はない。
記憶を呼び覚まし、名前を言い当てた自分を誉めたいぐらいの変わりようだ。
人目もはばからず、しばし二人の話がはずむ。
約30年分の話である。
私は私で病院通いしている理由を・・・
彼は彼で・・・
脳梗塞で身体の右側に麻痺があるらしい。
約10分で30年分の時間を取り戻し、
お互いにリハビリ頑張ろうと言って別れてきた。
リハビリを頑張るということは、また彼に会えるということだ。
病院物語
もっと面白いこともあるはず
元気で病院通いがんばろう
2024年12月19日
受賞祝賀会
昨夜です。
今年、それぞれの分野で活躍し、
国や県から表彰された方々の合同祝賀会がありました。
対象者は6名いたのですが、出席したのは4名。
八重山古典民謡保存会本部が推薦し、
今年、沖縄県から文化功労者表彰を受けた「糸洌長章」先生も、残念ながら欠席でした。
祝宴の座開きは八重山古典民謡保存会本部による斉唱。
沖縄県文化協会から民俗舞踊功労者として表彰された、
「赤山正子」先生の門下生による余興です。
石垣久雄先生は、いつも通りの軽いタッチで、
軽妙な語り口の受賞者あいさつをしていました。
受賞者の皆さんおめでとうございます。
益々のご活躍を
今年、それぞれの分野で活躍し、
国や県から表彰された方々の合同祝賀会がありました。
対象者は6名いたのですが、出席したのは4名。
八重山古典民謡保存会本部が推薦し、
今年、沖縄県から文化功労者表彰を受けた「糸洌長章」先生も、残念ながら欠席でした。
祝宴の座開きは八重山古典民謡保存会本部による斉唱。
沖縄県文化協会から民俗舞踊功労者として表彰された、
「赤山正子」先生の門下生による余興です。
石垣久雄先生は、いつも通りの軽いタッチで、
軽妙な語り口の受賞者あいさつをしていました。
受賞者の皆さんおめでとうございます。
益々のご活躍を
2024年12月16日
ウヤピトゥの力
土曜日から那覇です。
那覇で、懐かしいのを見ました
首里バス
復帰前にタイムスリップしたような感覚でした
上覇は・・・
貞子の祖母35回忌、母33回忌、父25回忌のため。
ということで!
石垣からの私たちはもちろん、
内地からも血縁者が集い、その数約30名!
これだけの血縁者を一同に集められるのは、
ウヤピトゥの力です
法要終了後は引き続き会食
久しぶりに、それぞれのヒーニンズとの楽しい時間を過ごすことができました
ウヤピトゥは偉大です
便りによれば石垣も寒そう
これから島に戻ります
那覇で、懐かしいのを見ました
首里バス
復帰前にタイムスリップしたような感覚でした
上覇は・・・
貞子の祖母35回忌、母33回忌、父25回忌のため。
ということで!
石垣からの私たちはもちろん、
内地からも血縁者が集い、その数約30名!
これだけの血縁者を一同に集められるのは、
ウヤピトゥの力です
法要終了後は引き続き会食
久しぶりに、それぞれのヒーニンズとの楽しい時間を過ごすことができました
ウヤピトゥは偉大です
便りによれば石垣も寒そう
これから島に戻ります
2024年12月12日
幻のビッグイベント
去る8日(日)に開催した本部保存会主催の「初心者のための三線ワークショップ」が、
今日の八重山日報で紹介されていました。
さて、、、今日は福岡教室の李さんの話題。
世話好きで、痒いところどころか、痒くないところも掻いてくれる
先日の「福岡教室」での対面稽古の打ち上げの日、
打ち上げ終了後、ホテルの部屋までついてきて、私と貞子をマッサージ
多分、自宅に着いたのは午前2時頃だったんではないか
そしてその翌日、石垣に帰る日は・・・
温泉に連れて行ってもらい、背中を流してもらったり
昼食は韓国焼き肉のお店でオッソロシイほどの量の焼き肉をご馳走になったり
いやもう、、、ね
沖縄のカメ~・カメ~攻撃も負けそうなもてなしでしたよ
その李さん。出身は韓国。
兼ねてから韓国人に八重山民謡の素晴らしさを知らせたいとの思いを温めていた。
そしてそのチャンスがやってきた。
今週の月曜日(9日)から三日間、福岡教室の仲間と船で韓国の旅へ・・(右が李さん)
その船内でミニライブをやることになっていたようだ。
船内カウンターにはその案内が張り出されていた
そして・・・船内ライブ
ライブの評判が良かったのかどうかは定かではないが・・・
そのおかげで食事は無料
部屋もランクアップされたとのこと
それを聞くと、ライブの評判は間違いなく良かったのだろう
・・・と、、思う
さて、着いたのは釜山。
目的の一つはかねてから温めていた八重山民謡の伝承活動。
まずは釜山大学の日本語専攻の学生を対象とした30分程度の公演を打診。
ところが・・・
そこから出てきた話は・・・
来年が日韓国交正常化60周年ということで、
来年の5月に韓国と日本に関係する国際学術大会やシンポジウムがあり、
どうせなら、その時に八重山古典民謡を紹介してはどうか・・・という話になった
しかも二日間も
下の写真はどうやらその会場のようだ。
さて・・・
日本語を学ぶ学生相手にと軽く考えていた話が、
とんでもない大きな話になってしまい
自分では手に負えないと思った李さん。
帰国後、私に相談がきた。
だがしかし・・・
私には、その日程はすでに動かせない予定が入っている。
福岡教室のリーダー松本さんも同様
ちょうど同じ日程で動き出しているイベントが控えていた。
頼りの二人が動けない・・・
李さん・・・
泣く泣く、今回のオファーを断らざるを得なくなった
目の前にあったビッグイベントで八重山古典民謡を紹介するチャンスだったが、
今回は見送らざるを得なかった。
しかし、李さんの八重山古典民謡にかける情熱は、
私たちに十分伝わったし、必ずいつかチャンスは来る
その時に備えて日々の稽古に邁進して欲しい
今日の八重山日報で紹介されていました。
さて、、、今日は福岡教室の李さんの話題。
世話好きで、痒いところどころか、痒くないところも掻いてくれる
先日の「福岡教室」での対面稽古の打ち上げの日、
打ち上げ終了後、ホテルの部屋までついてきて、私と貞子をマッサージ
多分、自宅に着いたのは午前2時頃だったんではないか
そしてその翌日、石垣に帰る日は・・・
温泉に連れて行ってもらい、背中を流してもらったり
昼食は韓国焼き肉のお店でオッソロシイほどの量の焼き肉をご馳走になったり
いやもう、、、ね
沖縄のカメ~・カメ~攻撃も負けそうなもてなしでしたよ
その李さん。出身は韓国。
兼ねてから韓国人に八重山民謡の素晴らしさを知らせたいとの思いを温めていた。
そしてそのチャンスがやってきた。
今週の月曜日(9日)から三日間、福岡教室の仲間と船で韓国の旅へ・・(右が李さん)
その船内でミニライブをやることになっていたようだ。
船内カウンターにはその案内が張り出されていた
そして・・・船内ライブ
ライブの評判が良かったのかどうかは定かではないが・・・
そのおかげで食事は無料
部屋もランクアップされたとのこと
それを聞くと、ライブの評判は間違いなく良かったのだろう
・・・と、、思う
さて、着いたのは釜山。
目的の一つはかねてから温めていた八重山民謡の伝承活動。
まずは釜山大学の日本語専攻の学生を対象とした30分程度の公演を打診。
ところが・・・
そこから出てきた話は・・・
来年が日韓国交正常化60周年ということで、
来年の5月に韓国と日本に関係する国際学術大会やシンポジウムがあり、
どうせなら、その時に八重山古典民謡を紹介してはどうか・・・という話になった
しかも二日間も
下の写真はどうやらその会場のようだ。
さて・・・
日本語を学ぶ学生相手にと軽く考えていた話が、
とんでもない大きな話になってしまい
自分では手に負えないと思った李さん。
帰国後、私に相談がきた。
だがしかし・・・
私には、その日程はすでに動かせない予定が入っている。
福岡教室のリーダー松本さんも同様
ちょうど同じ日程で動き出しているイベントが控えていた。
頼りの二人が動けない・・・
李さん・・・
泣く泣く、今回のオファーを断らざるを得なくなった
目の前にあったビッグイベントで八重山古典民謡を紹介するチャンスだったが、
今回は見送らざるを得なかった。
しかし、李さんの八重山古典民謡にかける情熱は、
私たちに十分伝わったし、必ずいつかチャンスは来る
その時に備えて日々の稽古に邁進して欲しい
2024年12月10日
本部保存会・今年最後の事業
先週はハードな週末でした
7日(土)は仲宗根充独演会で、午後からはずっと市民会館大ホール。
腰を痛めた貞子の箏の運びやとして付き添って行ったけどが・・・
色々とあって・・・スタッフとして手伝いをすることになり、
終演まで手伝ってきました
リハだけですが。。。
本番は撮影禁止、写真はありましぇん
出演者記念写真。
前列右から2人目に貞子がいます。
そしてさらにハードだったのが8日(日)
14時から、本部保存会の事業「初心者のための三線ワークショップ」があり
県立石垣青少年の家へ
会長の役目開会のあいさつです
その後さっそくワークショップ開始。
受講者22名に対し、本部保存会の師範教師14名が講師として参加。
なので、まったくの初心者にはほぼマンツーマンで指導することができました
少し経験があったり工工四が読めたりする人は、まとめて私が担当
女性には優しいワタクシです
2時間の体験で、「きらきら星」・「てぃんさぐぬ花」・・・
少しチューバーは「でんさ節」まで取り組んでいました
参加者全員でパチリ
そして同じ日19時からは・・・中華飯店での今年最後の事業。
先日、今年度の「沖縄県文化功労章」を受賞した、
元本部会長の糸洌長章先生の受賞祝賀会と、師範教師会の忘年会
初めに祝賀会から。
会長は大変です。ここでも開会のあいさつです
祝賀会の座開きは長章先生の所属する「宮良長久門下会」による「鷲ぬ鳥節」から
体調をくずされている長章先生に代わり、ご長男の智史さんが出席しあいさつを頂きました。
記念写真です。
ここからは忘年会
定番のビンゴゲームで大騒ぎしました
八重山毎日新聞社、垣本社長の来賓あいさつもありました。
とにかく万歳三唱はなければなりましぇん
これで今年の本部保存会の全事業が終了。
私の会長任期も、いよいよ最後の直線に差し掛かりました
7日(土)は仲宗根充独演会で、午後からはずっと市民会館大ホール。
腰を痛めた貞子の箏の運びやとして付き添って行ったけどが・・・
色々とあって・・・スタッフとして手伝いをすることになり、
終演まで手伝ってきました
リハだけですが。。。
本番は撮影禁止、写真はありましぇん
出演者記念写真。
前列右から2人目に貞子がいます。
そしてさらにハードだったのが8日(日)
14時から、本部保存会の事業「初心者のための三線ワークショップ」があり
県立石垣青少年の家へ
会長の役目開会のあいさつです
その後さっそくワークショップ開始。
受講者22名に対し、本部保存会の師範教師14名が講師として参加。
なので、まったくの初心者にはほぼマンツーマンで指導することができました
少し経験があったり工工四が読めたりする人は、まとめて私が担当
女性には優しいワタクシです
2時間の体験で、「きらきら星」・「てぃんさぐぬ花」・・・
少しチューバーは「でんさ節」まで取り組んでいました
参加者全員でパチリ
そして同じ日19時からは・・・中華飯店での今年最後の事業。
先日、今年度の「沖縄県文化功労章」を受賞した、
元本部会長の糸洌長章先生の受賞祝賀会と、師範教師会の忘年会
初めに祝賀会から。
会長は大変です。ここでも開会のあいさつです
祝賀会の座開きは長章先生の所属する「宮良長久門下会」による「鷲ぬ鳥節」から
体調をくずされている長章先生に代わり、ご長男の智史さんが出席しあいさつを頂きました。
記念写真です。
ここからは忘年会
定番のビンゴゲームで大騒ぎしました
八重山毎日新聞社、垣本社長の来賓あいさつもありました。
とにかく万歳三唱はなければなりましぇん
これで今年の本部保存会の全事業が終了。
私の会長任期も、いよいよ最後の直線に差し掛かりました
2024年12月08日
スマホケース
那覇教室所属の松太からレターパックが届いた
中にあったのはスマホケース
そう言えば、、
少し前の那覇教室で松太が話してたことがあったのを思い出した。
私のはsimple is best
して貞子のは・・・
「八重山上布ふーじー」とある
いたずらごころも全開
だけどが・・・
残念ながら貞子の機種が違う
おっこよー・・と、そのことを松太に連絡したら
三日待たずにこれが来た
今度は間違いなく貞子の機種iphone 13 mini
さっそく・・・
うり
いやいや・・・
どこかのショップに並んでいてもおかしくない
世界に一つしかないスマホケース
大切に使います
中にあったのはスマホケース
そう言えば、、
少し前の那覇教室で松太が話してたことがあったのを思い出した。
私のはsimple is best
して貞子のは・・・
「八重山上布ふーじー」とある
いたずらごころも全開
だけどが・・・
残念ながら貞子の機種が違う
おっこよー・・と、そのことを松太に連絡したら
三日待たずにこれが来た
今度は間違いなく貞子の機種iphone 13 mini
さっそく・・・
うり
いやいや・・・
どこかのショップに並んでいてもおかしくない
世界に一つしかないスマホケース
大切に使います
2024年12月06日
松本さんの挑戦
月曜日から八重山旅行に来ていた「福岡教室」のリーダー松本さん。
旅行団は昨日現地解散し、それぞれに分散。
松本さんは白保教室で、私との個人レッスンを受けるため島に残った。
2年前に「優秀賞」に合格。
今は「最優秀賞」の課題曲に取り組んでいる
昨日は14時から16時まで個人レッスン
さらに夜20時30分~22時30分の白保教室にも参加
さらに、さらに・・・
今日は10時~12時の個人レッスンと・・・
人質状態で稽古に没頭した
日頃は私の音源を頼りに、工工四で稽古をしているのだろう。
だがしかし・・・
白保教室で工工四を見ながらの稽古は許されない
私の手・指を見ながらの稽古に四苦八苦しながら懸命に頑張ってくれた。
びっくりしたのは持っていた工工四。
購入したのは2019年と書いてあるのだが
まるで50年前から所有していたのではないかと思うぐらいのくたびれようで、
この工工四がいかに松本さんに読まれていたかがわかる
しかし・・・
そこに落とし穴があった
私の音源を聞いていたとしても、頼りは工工四であったようだ。
すっかり工工四の歌が身についていて・・・
二日間の稽古は工工四歌からの脱却にほぼ費やした
改めて、定期的な生での対面稽古の必要性を痛感した。
決して若くない松本さん。
優秀賞合格でコンクールへの挑戦は終わりと思っていた。
この歳からの「最優秀賞」課題曲への取組みは想像を絶すると言ってもいい。
当然、最大限その挑戦を後押しする
稽古の仕上げは「やまむらし」
「やまむらし」で八重山一の「そば」と「じゅーしー」で腹を満たし人質解放
15時過ぎの飛行機で福岡に戻った
2024年12月04日
オーディション
連日25℃超え
石垣島は夏に戻りました
三温四寒
まぁ、、こんな感じで徐々に寒くなっていくのでしょう
そう言えば
一昨日の夜です。
ミッチーと大哉からほぼ同時に届いた訃報。
銘苅春政さんが逝去したとのことでした。
銘苅棹は安伴先生を通して6丁。
その後別ルートで1丁。
そして自ら木を持ち込んで3丁所有しておりました。
先の7丁は身近にいた門下生にすべて譲りました。
あとの3丁は1本の木から3丁製作したもので、
息子3人に兄弟三線として分け与えました。
2月に亡くなった譜久山勝さんに続いての、
当代きっての三線職人の逝去。
残念でなりません
さて、、、
来年2月の研究所開設30周年公演に向けて、
出演者を決めるオーディションの話です
全員がオーディションの対象ではありません。
すでにコンクールで実績のある人などは免除です。
昨夜は白保教室で5人がオーディションに挑戦
うち合格は4人、
1人は不合格となりました
が・・・これが最終ではありません。
一次審査とでもいいましょうか。
不合格者に対してはもう一度チャンスを与え、
二次審査までやろうかと考えています。
もちろん本人からの意思表示があればです。
昨夜の不合格者は、
「どうしても出たい。もう一度お願いします」と言ってきたので、
2週間後にもう一度チャンスを与えようかと思っています。
運営全般は実行委員会が仕切っていますが、
舞台に関しては私と大哉に任されています。
希望者全員を出演させた気持ちはやまやまですが、舞台は真剣勝負です。
良い舞台を作るため、稽古で泣いてもらいます。
本番舞台を笑顔で迎えられるよう、、
正念場です
石垣島は夏に戻りました
三温四寒
まぁ、、こんな感じで徐々に寒くなっていくのでしょう
そう言えば
一昨日の夜です。
ミッチーと大哉からほぼ同時に届いた訃報。
銘苅春政さんが逝去したとのことでした。
銘苅棹は安伴先生を通して6丁。
その後別ルートで1丁。
そして自ら木を持ち込んで3丁所有しておりました。
先の7丁は身近にいた門下生にすべて譲りました。
あとの3丁は1本の木から3丁製作したもので、
息子3人に兄弟三線として分け与えました。
2月に亡くなった譜久山勝さんに続いての、
当代きっての三線職人の逝去。
残念でなりません
さて、、、
来年2月の研究所開設30周年公演に向けて、
出演者を決めるオーディションの話です
全員がオーディションの対象ではありません。
すでにコンクールで実績のある人などは免除です。
昨夜は白保教室で5人がオーディションに挑戦
うち合格は4人、
1人は不合格となりました
が・・・これが最終ではありません。
一次審査とでもいいましょうか。
不合格者に対してはもう一度チャンスを与え、
二次審査までやろうかと考えています。
もちろん本人からの意思表示があればです。
昨夜の不合格者は、
「どうしても出たい。もう一度お願いします」と言ってきたので、
2週間後にもう一度チャンスを与えようかと思っています。
運営全般は実行委員会が仕切っていますが、
舞台に関しては私と大哉に任されています。
希望者全員を出演させた気持ちはやまやまですが、舞台は真剣勝負です。
良い舞台を作るため、稽古で泣いてもらいます。
本番舞台を笑顔で迎えられるよう、、
正念場です
2024年12月03日
写真で福岡教室
昨日、予定より1日遅れで島に戻ってきました
まぁ・・・普通経験できないことを経験することになり、
それはそれでいい思い出になりました
しかし・・・
結局、代替機で5時間遅れで出発することになったANA1213便の乗客だけど、
いわゆるカスハラ的な人が一人もいなくて・・・
それが乗客の一人としてすごく救われた気持ちになりました。
誰か一人でも空港職員に食ってかかるような人がいたら、
すごく不愉快な思いがしただろうなと・・・
なかにはのっぴきならない用事の乗客もいただろうに・・・
誰一人不満を口にすることもなく、
全員が職員の指示に黙って従っていたのには本当に救われた気がしました。
さて・・
今回の福岡での二泊三日を、福岡教室メンバーからの写真で振り返ってみたいと思います。
持ち時間30分の個人指導です。
オンライン稽古では気づきにくいことがたくさんありました。
昼食休憩時間を利用して・・・
歩いて5分ほどの所に紅葉が綺麗なところがあるというので行ってみました。
この日は日中15℃まであるポカポカ陽気
こんな景色を座敷から眺めながら暮らしたら長生きするはず
18時までびっしり稽古したあとは懇親会。
宮古島出身者が関係する店と言ってたかなぁ・・・
ほぼ貸し切り状態でしたので、
この日、〇〇歳の誕生日だったメンバーの誕生祝いをしたり・・・
多分これは全員で「ゆんた」を大合唱しているところだはず
呑んで食って大騒ぎして
稽古でガーブレテ、打ち上げでボタリテ
稽古は厳しく 打ち上げは楽しく
・・・でした
石垣ではまだまだですが・・・
福岡はすっかり師走クリスマス・年末の雰囲気でした
2024年12月02日
バードストライク
那覇に居ます
え
石垣じゃなく那覇?
そうです、那覇です。
いきさつはこうだ
昨日、福岡での全ての予定を終了し、
予定通り16時45分発の飛行機に乗り込んだ。
そして那覇で19時25分発の石垣行きに乗り継ぎ、20時30分頃石垣着。
21時頃には自宅に戻っているはずだった。
ところが、乗り込んだANA1213便がなかなか動かない。
そのうちに機内アナウンスが流れてきた
「前便で右主翼に鳥が衝突し、その損傷が基準内かどうかの判定に時間を要している」とのことだ。
乗り込んでから1時間以上経ったころ、
さらに時間を要するとの事で、一旦飛行機を降りることになった。
この時点で、乗り継ぎの石垣行きには間に合わない事が決定。
飛ばなければ福岡、飛んだとしても那覇ステイが確定した。
そして、、
「乗り継ぎで石垣行き予定の横目様」のアナウンスが待合ロビーに響き渡った。
指定された場所にいくと、事の説明と、
福岡ステイ、那覇ステイ、どちらが希望か?との意向を聞かれた。
「できれば今日で那覇には渡っておきたい」と答えた。
ロビーには「当該機で飛べるか、欠航にするか、代替機で飛ぶか」を検討中とのアナウンスが再三流されていたので、事の進捗状況はよく理解できた。
かなり時間が経過した19時30分頃、
21時40分発の代替機での那覇行きが決定とのアナウンス。
当初予定から約5時間遅れである。
那覇に着くのが23時25分の予定という。
そして再び「横目様」の呼び出し。
那覇ステイが決定し、1人千円の食事代と那覇での交通費、宿泊費を補償するとの説明。
那覇には那覇教室もあり、宿泊に不安は無かったが、
那覇教室に着くのは24時頃になるはずだ。
那覇泊まりの予定は無かったので、那覇教室がある2階の鍵は持ってなく、
1階からしか入れず、それじゃ1階に住む次男家族に迷惑をかけることになるため、ホテル泊にすることにし、
ANA職員にホテル予約を頼んで、この件は一件落着。
さて、それでも飛行機が飛ぶ時間まで2時間近くある。
那覇に着くのは深夜だし、支給された千円で食事をすることにした。
21時40分、代替機は予定通り飛んだ
那覇空港に着いたのは23時30分頃。
すでにモノレールはなく、タクシー乗り場は長蛇の列。
それでも20分待ちでタクシーは乗れた。
ANAに手配してもらった県庁前のホテルに着いたのは、日を跨いだ午前0時を過ぎていた
え
石垣じゃなく那覇?
そうです、那覇です。
いきさつはこうだ
昨日、福岡での全ての予定を終了し、
予定通り16時45分発の飛行機に乗り込んだ。
そして那覇で19時25分発の石垣行きに乗り継ぎ、20時30分頃石垣着。
21時頃には自宅に戻っているはずだった。
ところが、乗り込んだANA1213便がなかなか動かない。
そのうちに機内アナウンスが流れてきた
「前便で右主翼に鳥が衝突し、その損傷が基準内かどうかの判定に時間を要している」とのことだ。
乗り込んでから1時間以上経ったころ、
さらに時間を要するとの事で、一旦飛行機を降りることになった。
この時点で、乗り継ぎの石垣行きには間に合わない事が決定。
飛ばなければ福岡、飛んだとしても那覇ステイが確定した。
そして、、
「乗り継ぎで石垣行き予定の横目様」のアナウンスが待合ロビーに響き渡った。
指定された場所にいくと、事の説明と、
福岡ステイ、那覇ステイ、どちらが希望か?との意向を聞かれた。
「できれば今日で那覇には渡っておきたい」と答えた。
ロビーには「当該機で飛べるか、欠航にするか、代替機で飛ぶか」を検討中とのアナウンスが再三流されていたので、事の進捗状況はよく理解できた。
かなり時間が経過した19時30分頃、
21時40分発の代替機での那覇行きが決定とのアナウンス。
当初予定から約5時間遅れである。
那覇に着くのが23時25分の予定という。
そして再び「横目様」の呼び出し。
那覇ステイが決定し、1人千円の食事代と那覇での交通費、宿泊費を補償するとの説明。
那覇には那覇教室もあり、宿泊に不安は無かったが、
那覇教室に着くのは24時頃になるはずだ。
那覇泊まりの予定は無かったので、那覇教室がある2階の鍵は持ってなく、
1階からしか入れず、それじゃ1階に住む次男家族に迷惑をかけることになるため、ホテル泊にすることにし、
ANA職員にホテル予約を頼んで、この件は一件落着。
さて、それでも飛行機が飛ぶ時間まで2時間近くある。
那覇に着くのは深夜だし、支給された千円で食事をすることにした。
21時40分、代替機は予定通り飛んだ
那覇空港に着いたのは23時30分頃。
すでにモノレールはなく、タクシー乗り場は長蛇の列。
それでも20分待ちでタクシーは乗れた。
ANAに手配してもらった県庁前のホテルに着いたのは、日を跨いだ午前0時を過ぎていた