2024年04月04日
津波避難
昨日の9時頃だった。
ゆる~~い横揺れですぐ地震とわかった。
直後にテレビから強い揺れに注意と緊急地震警報
残念ながら緊急地震警報は揺れがおさまった後だった
して・・・震度3の報。
さらにその直後に津波警報が出された。
すぐに着替えてバイクで向かったのは海岸のそばにある「白保サンゴ村」
春休み中で朝から学童たちが大勢いるはずだ
駆けつける途中、サンゴ村から出たところで先生たちに誘導された学童たちと遭遇。
すでに避難を開始していた。
小学校に向かうという先生たちに、公民館に行くように指示し、
私は公民館長宅へ
公民館を開放するようにいうつもりだったが館長は不在。
公民館に戻ると、通りかかった車に分乗して子供たちは指定避難場所のビッチムリに向かっていた。
これでひと安心
自宅に戻り、私たちは自宅で待機を決めた。
我が家の海抜は16mあり、いざとなれば屋上へ行けばいい。
我が家の屋上までのみ込む大波がきたら島は残らんはずとの判断からだ。
落ちついたところで震源地の台湾がどうなっているのか
台湾のヒロに連絡する。
メンバーの住宅だという写真が送られてきた。
かなりのダメージを受けているようだ。
その時ヒロは電車の中だったようで、乗客が降ろされ徒歩で線路伝いを避難している映像が送られてきた。
さらにこんな写真も
島の岩が崩落したんだろうか
して・・・白保の避難先、ピーゴロの頂上付近は・・・
こちらはビッチムリ。
警報が解除されるまで集落内はひとっこ一人いなかったはず
さて・・・物的人的被害はまったく無かったのだが
被害を受けたのが昨日の予定。
午前中は「サンゴ村」で決算打ち合わせの予定があったが当然流れた
正午からは八重山古典民謡保存会本部の、
顧問・相談役との意見交換及び懇親会があったが、こちらは14時からに変更
あおりを食って病院でのリハビリに行けなくなった
今後救援活動が進むにつれ、台湾での被害状況がわかってくると思います。
皆さんの無事を祈っています